こんにちは。

天気はいいですが昨夜からの雨が強風へ変わり、そして迎えた9年目の朝。

2011年夏の石巻・湊地区の山沿いの風景。

私はいわゆる「ヨソモノ」でしたので、

石巻に住み始めてからも、

色んな繋がりが増え、色んなことを見聞きしていってからも、どこかその気持ちがありました。

もしかしたら今もどこか、

外からの視点でこのまちを見ているところがあるかもしれません。

今年は新型コロナの影響で休校となったので普通に仕事していますが、

3.11だけは自分がここにいるべきではないような気がして、いつも石巻を出るようにしていました。

遺族と被災者の家族のための日なのだ、と思っていたからです。

しかし震災から9年、10年目を迎えるにあたり、

当時のことをほとんど知らない・覚えていない世代の子たちが生徒として塾に来るようになりました。

こういった子どもたちに、直接の被災者でないにせよ、

そういった人たちを知っていて、またそういった人たちと関わってきた経験を伝えることもまた

自分にできることではないか、と考えるようになりました。

1階が浸水した家での2階で普通に暮らす人たちも多くいました。

廃車となった多くの車の置き場となっていた小学校。

少し話は変わりますが、毎年、私が石巻にいるから、という理由で全国から仕事や遊びに来てくれる人たちもいます。

以下の手紙は、秋に長崎からリフレッシュ休暇で単身遊びに来てくれた高校のときの恩師の手紙です。

3.11を迎えるにあたり、わざわざ手紙をよこしてくれました。

一部抜粋します。

昨秋の訪問以来、私は今までとは比べ物にならないほどに、

被災地に関心や思いを寄せるようになりました。

そして知りえたこと、感じたことを自分の中だけで閉じずに、

同僚や仲間ともできるだけ共有するように心がけています。
(中略)

たまたま宮城県教育委員会の方から

「女川いのちの教科書〜1000年後の命を守るために〜」をいただいた、

ということを耳にして、さっそく私も読ませてもらいました。

子どもたちの行動力に感じ入るとともに、

今までこのような活動に関心を寄せてこなかった自分を恥じました。

思いを寄せるだけでなく、遠く離れた長崎にいても、

何かできることはあるのではないかと考えるようにもなりました。

(中略)

純くんにあちこち連れて行ってもらったおかげで、なじみの地名が出ると、

つい懐かしくなりますし、また訪れて、またあちこち行ってみたいと強く思っています。

その際はぜひまたお話を聞かせてください。再会を楽しみにしています。

3月11日は長崎より被災地に向けて、静かな祈りを捧げたいと思っております。

こちらでつながったメンバーにはこの手紙を共有しました。

こういった動きもまた、ヨソモノである自分にしかできないことではないかと考えています。

私が本格的に石巻に戻ってきた2016年〜17年の冬から、新生の桜塾としては形もできつつあると感じています。

この節目である2020年、来てくれている子たちやそのご家庭の満足度を追求しつつ、

色々なことにもチャレンジしていきたいです。合唱。